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荒木和助

初代和助(1734~1806)は城端焼を創始し、殿村屋和助、唐津屋和助とも称された。曳山の人形作者、城端における江戸期の代表的な画家としても知られる。和助は紺屋を本業とする家に生まれたが、「唐津屋」と呼ばれるほど本格的に陶器を作り、絵画・彫刻・人形・染物など多方面に才能を発揮した人物である。また、直暢(なおのぶ)、五牛(ごぎゅう)とも号した。特に曳山に安置する御神像のほとんどを制作し、あやつり人形や曳山の後屏彫刻なども手がけ、その功績は大きく評価されている。安永2年(1773)に東上町の「寿老像」、安永3年(1774)に東下町の「大黒天像」、寛政3年(1791)に東上町曳山の「雞阿和勢稚游(とりあわせちごあそび)」、寛政7年(1795)に西上町の「恵比寿像」、寛政8年(1796)に大工町の「関羽像・周倉像」を制作した。

出典

・城端曳山祭保存会『城端神明宮祭の曳山行事』2017年
・城端曳山史編纂委員会『城端曳山史』1978年

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